祈り

 経済活動というのは単純にいえば対価を払って何かを得ることだと思います。だから、ボランティアというのは労働なのだから、当然自己満足という対価を得てもいいはず。募金というのは支出行為なのだから、当然自己満足という対価を買ってもいいはず。どうせ聖人君子になんてなれないのだから、いっそのこと自己満足を買うつもりで募金をすればいいのに、と思うわけです。ボランティアにせよ義援金にせよ、対価を払っているわけだから、自己満足とか売名とか宣伝とか見栄といった見返りを求めるのは当然ではないのかなと思うし、別に問題ないと思うわけです。もちろんそれを自分から言ったら偽善だのなんだのと純粋な人から白い目で見られるかもしれないけど、心のなかでささやかに思うくらいいいんじゃないですか?
 だから、いいことをしたという気分を買いに募金箱へお金を払ってみるのもいいんじゃないんですかね。


 あと、地獄のような景色や悲惨な状況を見て「自分はこんなに安穏としてていいのか」と不安になるより、「いつああいう状況になってもおかしくないんだから、安穏なうちにやれることをしておこう」って思う方が幸せなんじゃないかな。自分を追い込んでもすぐに世界は変わらないし。

あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きて いることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信 じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。

 私はジョブスが嫌いだけど、これは唯一好きな言葉です。


 いかん、なんかITmediaとかで取り上げられるブログみたいにいけ好かない文章になってしまった。うんこー!